トップ東京の公園小石川後楽園

小石川後楽園

 東京でお散歩できる公園の内、「小石川後楽園」について写真付きでご紹介します。

小石川後楽園の基本情報

 以下では「小石川後楽園」の基本情報についてご紹介します。

歴史

 小石川後楽園の前身は、1629年(寛永6)、水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて築いた庭園。その後、この庭園を嫡子である光圀が改修し、「岳陽楼記」から一節を借用して「後楽園」と名づけた。1869年(明治2)、時の藩主だった徳川昭武が邸宅とともに当園を新政府に奉還、 1874年(明治7)以降は、明治天皇の所有となり、今日では都立公園として有料公開されている。

備考

 面積は約7万平方メートル。ぐるりと一周して景観を楽しむ「回遊式築山泉水庭園」は、随所に中国趣味が垣間見られる。1923年(大正12)には「国の史跡および名勝」に、そして1952年(昭和27)には文化財保護法に基づく「国の特別史跡および特別名勝」に指定された。 小石川後楽園の園内マップ

利用案内

  • 9:00~17:00
  • 年末年始休園
  • 一般:300円
  • 65歳以上:150円
  • 団体割引・年間パスあり

住所

東京都文京区後楽1-6-6

アクセス

  • 都営大江戸線「飯田橋」
  • JR中央・総武緩行線「飯田橋」
  • 東京メトロ東西線「飯田橋駅」
  • 東京メトロ有楽町線「飯田橋駅」
  • 東京メトロ南北線「飯田橋駅」
  • 東京メトロ南北線「後楽園駅」
  • 東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅」

電話番号

03-3811-3015

公式サイト

小石川後楽園トップへ

小石川後楽園の写真や動画

 以下では「小石川後楽園」について写真付きでご紹介します。 小石川後楽園・入口
 「小石川後楽園・入口」。開園時間は9:00~17:00。一般は300円で65歳以上は150円。
涵徳亭
 「涵徳亭」(かんとくてい)。庭園内にある有料集会施設。日本間や広間などがあり、予約は半年前からを受け付け可能。
枝垂桜
 「枝垂桜」(しだれざくら)。園内に入ってすぐの所にある。背後には大泉水が広がり、遠景には東京ドームを望める。
駐歩泉
 「駐歩泉」(ちゅうほせん)。九代斉昭が、西行法師の和歌にちなんで命名した小さな流れ。奥に見えるのが「西行堂跡」で、「道のへにしみづながるる柳かげしばしとてこそ立ち止まりつれ」という西行法師の和歌が石碑で残されている。
竜田川
 「竜田川」(たつたがわ)。川辺には楓や桂などの古木が生い茂り、紅葉は春の花より赤いといわれる。
大泉水
 「大泉水」(だいせんすい)。琵琶湖を模して造られた、この庭園の中心的景観。多くの鯉や水鳥が生息している。中央に見えるのが「蓬莱島」(ほうらいじま)。 元動画は⇒こちら
延段
 「延段」(えんだん)。中国風の石畳で、切石と玉石とが巧みに組み合わされている。
寝覚の滝
 「寝覚の滝」(ねざめのたき)。内庭にある池の水が末流となって流れる様子を、木曽路の名所「寝覚の床」にちなんで名付けた。
富士見堂
 「富士見堂」(ふじみどう)。かつてはこの辺から、近くは赤城・築土の社を、遠くは妙義・榛名の山々を望むことができたという。ここよりやや北側には「白雲台跡」がある。
内庭
 「内庭」(うちにわ)。園の南端にある池で、元々は水戸藩邸の書院の庭だったという。江戸時代には「うちの御庭」とも呼ばれていた。なお、内庭と後園の境目にはかつて「唐門」(からもん)と呼ばれるカラフルな門があったが、戦火で消失したらしい。
えいよう碑
 「えいよう碑」。七代治紀は、将軍家から賜った鷹を大切にしていた。鷹は治紀が没した4年後になくなったため、八代斉脩がこれを悲しみ、この碑を建てたという。ちなみに「えいよう」には、見たことの無い漢字が当てられる。
蓬莱島
 「蓬莱島」(ほうらいじま)。「蓬莱」とは、古代中国の伝説で仙人が住むといわれていた仙境の1つ。島は亀の形をしており、先端にある平らな鏡石は、作庭を手がけた徳大寺佐兵衛の名を取り、「徳大寺石」と呼ばれる。また、島の上にある赤い祠では、弁財天を祀っている。
松原
 「松原」。かつては空が見えないほどうっそうと松が生い茂っていたという。将軍をして、「これ天下の威光をもっても能わず」と言わしめたと伝えられる。
白糸の滝
 「白糸の滝」。六代治保のときに造られたもので、流れの様子が千本の白糸を垂らしているかのように見えたことから名付けられた。今回は無念の修復中。
一つ松
 「一つ松」。眼前に広がる「大泉水」が近江の琵琶湖を模しているのに対し、この松は琵琶湖・唐崎にある「一つ松」を模しているという。
小廬山
 「小廬山」(しょうろざん)。オカメザサに覆われた丘の部分をこう呼ぶ。寛永17年(1640)、中国の名勝地「廬山」や京都清水寺一帯の「小廬山」にちなみ、林羅山が名付けた。
西湖の堤
 「西湖の堤」(せいこのつつみ)。中国の杭州(現在の浙江省)にある名勝地「西湖」を模して造られたもの。ここ以外では旧芝離宮恩賜庭園にあるが、こちらの方が元祖だという。
屏風岩
 「屏風岩」(びょうぶいわ)。屏風のように並んで立っていることからこう呼ばれるようになった。かつて将軍家光も、この付近の松に手ぬぐいを引っ掛け、小休止を取ったという。
大堰川
 「大堰川」(おおいがわ)。京都・嵐山の同名川にちなんで名付けられた。設計には三代将軍家光も関わったという。元禄の地震が起こるまでは、神田上水の水が引き入れられていた。
通天橋
 「通天橋」。朱塗りの木造橋。近くには「清水観音堂跡」、および「得仁堂」がある。
円月橋
 「円月橋」(えんげつきょう)。明(みん)から日本へ亡命していた朱舜水の設計と伝えられる。半円形の端が水面に映ると、ちょうど満月になることから名付けられた。
登山道
 円月橋から続く「登山道」。高台にあるため景色が良い。
八卦堂跡
 「八卦堂跡」(はっけどうあと)。ただの石・・。「八卦堂」とは、二代光圀が、かつて将軍家光からもらった「文昌星像」を安置したといわれる御堂。関東大震災で焼失したらしい。ちなみに当園には、ここ以外にも5ヶ所の「跡」があり、そのつど「・・・」となる。
水戸偕楽園・里帰りの梅
 「水戸偕楽園・里帰りの梅」。かつて当園から茨城県の「偕楽園」に渡った梅の木が、時を経て当地に戻ってきたもの。梅林の一角にある。
藤田東湖の記念碑
 「藤田東湖の記念碑」。「藤田東湖」(ふじたとうこ)は、江戸時代末期(幕末)の水戸藩士、水戸学藤田派の学者。安政の大地震(1855年)が発生した際、焼け落ちてきた家の梁から母親を救おうとして命を落としたと伝えられる。
八ツ橋
 「八ツ橋」。板を8つ重ね合わせていることからこの名がつけられている。予備知識が無いと見過ごしてしまうため要注意。
藤棚・菖蒲田・稲田
 「藤棚・菖蒲田・稲田」。松原に隣接するエリア。季節が合えば咲き誇る藤や菖蒲、および実った稲を眺めることができる。
愛宕坂
 「愛宕坂」(あたござか)。京都の「愛宕山」にある坂にならって造られたもので、47段の石段から成る。急峻で危険なため立ち入りは禁止。
江戸城外堀石垣
 外に出たところにある「江戸城外堀石垣」。入口の左手に連なる築地塀の一部には、旧江戸城の外堀から出土した石垣が用いられている。所々に「山」という漢字が刻まれているのは、オリジナルの石垣を築いた備中藩主・山崎家を示す。
小石川後楽園トップへ