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北の丸公園

 東京でお散歩できる公園の内、「北の丸公園」について写真付きでご紹介します。

北の丸公園の基本情報

 以下では「北の丸公園」の基本情報についてご紹介します。

歴史

 元々この土地は、明暦の大火(1657年)以前は徳川忠長や徳川綱重らの屋敷地だった。大火の後は、田安徳川家(1731年)、清水徳川家(1759年)の上屋敷が構えられたとう歴史がある。明治維新後は、政府によって近衛師団の兵営地が設置され、第二次大戦後(1946年)は皇居周辺の緑地として整備されることが決定された。公園として一般公開されたのは、昭和天皇の還暦に当たる1969年(昭和44年)のこと。

備考

 面積は約19万平方メートル。江戸城の北側にあったことから「北の丸」と呼ばれ、城の遺構である「田安門」や「清水門」など、重要文化財も多い。園内には道路があるため、自動車での乗り入れもでき、有料駐車場も備えている。なお、本来この北の丸公園は、環境省が管理する国民公園の一つ皇居外苑に含まれるが、両者を1ページにまとめると内容が複雑化するため、当サイトでは独立させて解説する。 北の丸公園の園内マップ

利用案内

無料/無休

住所

東京都千代田区北の丸公園1-1

アクセス

  • 東京メトロ東西線「竹橋」
  • 東京メトロ東西線「九段下駅」
  • 東京メトロ半蔵門線「九段下駅」
  • 都営新宿線「九段下駅」

電話番号

03-3213-0095

公式サイト

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北の丸公園の写真や動画

 以下では「北の丸公園」について写真付きでご紹介します。 千鳥ヶ淵~北から南を見たところ 千鳥ヶ淵~西から東を見たところ
 「千鳥ヶ淵」。公園の西側。インド大使館前の通りから眺めたところ。桜の名所としても有名。 元動画は⇒こちら
品川弥二郎像
 「品川弥二郎像」。園の北端。品川弥二郎(1843~1900)は、明治維新における功績により子爵を授けられた長州藩士、政治家。
田安門~園外から見たところ 田安門~園内から見たところ
 「田安門」。靖国通りに面した位置にあり、園の北門に相当する。建築は寛永13年(1636)で、現存する旧江戸城建築遺構のうちでは最古とされる。
日本武道館~近景 日本武道館~遠景
 「日本武道館」。北側。日本武道館は、1964年に行われた東京オリンピックの柔道競技会場として建設された建物。
北の丸公園の芝生広場~園路付近 北の丸公園の芝生広場~全体像
 「芝生広場」。北側。花見の季節には大変な賑わいを見せる。
園から見た千鳥ヶ淵~東から西を見たところ 園から見た千鳥ヶ淵~北から南を見たところ
 「園から見た千鳥ヶ淵」。西端から見下ろしたところ。皇居の森と一体感を保つため、クスノキ、夕ブノキ、スダジイ等の常緑樹が植えられている。 元動画は⇒こちら
北の丸公園の池
 「池」。南西。 元動画は⇒こちら
東京国立近代美術館工芸館
 「東京国立近代美術館工芸館」。南西端。工芸館は、1910年(明治43年)に建設された「大日本帝国陸軍・近衛師団司令部庁舎」を改修したもので、1972年(昭和47年)、重要文化財に指定されている。
北白川宮能久親王銅像
 「北白川宮能久親王銅像」。工芸館の脇。北白川宮能久親王(きたしらかわのみやよしひさしんのう, 1847~1895)は、幕末・明治時代の皇族、陸軍軍人。
北の丸公園の南門
 「南門」。田安門の真逆の位置にある。道路を挟んで南側が皇居。
科学技術館
 「科学技術館」。南東。科学技術館は公益財団法人「日本科学技術振興財団」が1964年に設立した施設。
北の丸公園の吉田茂像
 「吉田茂像」。園の中央付近。吉田茂(1878~1967)は日本の外交官、政治家。内閣総理大臣は通算で4期務めた。
北の丸公園から見た牛ヶ淵
 「牛ヶ淵」。東端から見下ろしたところ。千鳥ヶ淵が園の西側に広がっているのに対し、牛ヶ淵は東側に広がる。遠くに見えるのは、3.11の崩落事故が記憶に新しい「九段会館」。
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