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上野恩賜公園

 東京でお散歩できる公園の内、「上野恩賜公園」について写真付きでご紹介します。

上野恩賜公園の基本情報

 以下では「上野恩賜公園」の基本情報についてご紹介します。

歴史

 当地は江戸時代、東叡山寛永寺の境内地だったが、明治維新後に官有地となり、1873年(明治6)には太政官布達によって、芝、浅草、深川、飛鳥山と共に日本で初めて公園に指定された。1924年(大正13)には宮内省を経て東京市に下賜され、以来「上野恩賜公園」の名で親しまれている。

備考

 面積は約53万平方メートル。開園当初は寛永寺の社殿、東照宮、および境内の桜を中心とした公園だったが、その後、博物館、動物園、美術館といったアトラクションが次々と建造され、都内有数の観光名所となった。 上野恩賜公園の園内マップ

利用案内

  • 入園無料/無休
  • 5:00~23:00

住所

東京都台東区上野公園

アクセス

  • JR山手線「上野駅」
  • 東京メトロ銀座線「上野駅」
  • 東京メトロ日比谷線「上野駅」
  • 都営大江戸線「上野御徒町駅」
  • 京成線「京成上野駅」

電話番号

03-3828-5644

公式サイト

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上野恩賜公園の写真や動画

 以下では「上野恩賜公園」について写真付きでご紹介します。当サイト内では便宜上、公園中央を走る「さくら通り」より東側を「東エリア」、西側を「西エリア」、そして公園南部を斜めに横切る「動物園通り」より南側を「南エリア」として解説します。
上野恩賜公園のエリア区分
東エリア
上野恩賜公園内の東京国立博物館
 「東京国立博物館」。都道452号線より北側一帯を占めている。1872年(明治5)、現在の湯島聖堂・大成殿において誕生した、日本初の博物館。以降、日本を中心とした東洋諸地域から文化財を収集・展示すると同時に、関連する調査研究や教育普及なども行っている。
上野恩賜公園内の国立科学博物館
 「国立科学博物館」。1877(明治10)年に創立された、日本で最も歴史のある博物館の一つ。巨大なシロナガスクジラがシンボルとなっており、400万点を超える貴重なコレクションを保管している。
国立科学博物館前のD51-231
 「D51-231」。国立科学博物館前に展示してある、通称「デゴイチ」と呼ばれる蒸気機関車。このデゴイチは1939年に製作された後、東海道本線、山陰本線などで活躍し、 1977年に廃車になるまで、およそ216万キロを走行した。
上野恩賜公園内の国立西洋美術館
 「国立西洋美術館」。フランス政府から「松方コレクション」と呼ばれる印象派の絵画や、ロダンの彫刻を中心とするフランス美術コレクションが返還されたのを機に、1959(昭和34)年4月に発足した。
上野恩賜公園の野口英世像
 「野口英世像」。世界的な細菌学の権威で、1000円札の肖像に用いられた事でも有名。銅像は高さ約4.5メートルで、試験管をかざした実験中の姿を表現している。台座にはラテン語で「人類の幸福のために」(PRO BONO HUMANIGENERIS)と刻まれている。
上野恩賜公園の竹の台噴水
 「竹の台噴水」。1868年に戊辰戦争が勃発するまで、ここには寛永寺の中心的な存在である根本中堂があった。堂が戦火で焼失すると、跡地には博物館が建設され、その前庭に噴水が設置された。
上野恩賜公園の十字路
 「十字路」。公園のほぼ中央に位置する十字路で、近くには風変わりなデザインの交番がある。北が東京国立博物館、東が国立西洋美術館、南が不忍池、西が上野公園という位置関係。 元動画は⇒こちら
正岡子規記念野球場
 「正岡子規記念野球場」。明治時代に活躍した俳人・歌人である正岡子規が学生時代、当公園で仲間と野球を楽しんでいたことにちなみ、2006年のリニューアルオープンを機に現在名となった。
上野恩賜公園の摺鉢山
 「摺鉢山」(すりばちやま)。公園のほぼ中央、管理所の近くにある小高い丘で、元々は弥生時代に作られた前方後円墳だと言われている。
上野恩賜公園の時忘れじの塔
 「時忘れじの塔」。落語家だった故・林家三平氏の未亡人である海老名香葉子女史が、2004年に建立した。東京大空襲を後世に伝えるための記念碑で、林家一門による慰霊会が催される。
上野恩賜公園の清水観音堂
 「清水観音堂」(きよみずかんのんどう)。1631年、京都の清水寺(きよみずでら)にならって建立されたお堂。創建当初は摺鉢山の上にあったが、1694年に現在地に移転した。国の重要文化財。
天海僧正毛髪塔
 「天海僧正毛髪塔」(てんかいそうじょうもうはつとう)。天海僧正は江戸時代初期の天台宗の高僧で、慈眼大師とも言う。2代将軍秀忠や3代将軍家光の帰依を受け、江戸城鎮護のため当地に寺院の建立を進言し、1625年、寛永寺を創建した。東京都の指定旧跡。
上野恩賜公園内の上野の森美術館
 「上野の森美術館」。公益財団法人日本美術協会が運営する美術館で、1972年に開館した。常設展はないが、重要文化財の公開をはじめ、様々なジャンルの美術を紹介している。
彰義隊墓所
 「彰義隊墓所」(しょうぎたいぼしょ)。彰義隊とは、大政奉還後、江戸幕府15代将軍・徳川慶喜の助命を求め、1868年に結成された同盟のこと。しばらくの間は上野山において徳川家の霊廟を警護していたが、1868年の「上野戦争」により大村益次郎に敗戦。山内に放置されていた彰義隊の遺体は、円通寺の住職らによって当地で荼毘(だび)に付された。台東区の有形文化財。
西郷隆盛の銅像
 「西郷隆盛の銅像」。勝海舟との会談で江戸城の無血開城を実現したことで知られる西郷隆盛の銅像。当公園のシンボルとしてあまりにも有名。作者は高村光雲、除幕は1898年。ちなみに連れている犬の名は「ツン」という。
上野恩賜公園のカエルの噴水
 「カエルの噴水」。通称「袴腰広場」(はかまごしひろば)と呼ばれている場所にある。京成上野駅の近くで、待ち合わせにもよく用いられる。
西エリア
上野恩賜公園内の東京都美術館
 「東京都美術館」。1926年、「東京府美術館」として開館したのが始まり。2012年には博物館に相当する施設として指定され、リニューアルオープンを果たした。
旧東京音楽学校奏楽堂
 「旧東京音楽学校奏楽堂」。1890年、東京音楽学校本館として建設された建物。わが国初の本格的な音楽ホールで、滝廉太郎をはじめとする多くの音楽家を世に送り出してきた。1987年に現在地に移築され、日本唯一の空気式パイプオルガンも修復された。翌88年には国の重要文化財に指定されている。館内見学は日、火、木曜のみ。
ボードワン博士像
 「ボードワン博士像」。公園の産みの親ともいえるオランダの一等軍医。彼の「上野の山を近代的な公園にすべき」という提言により、病院建設計画が中止され、上野公園が生まれることになった。2006年に正しい像に交換されるまで、博士の弟の像が建てられていたという。
小松宮親王像
 「小松宮親王像」。伏見宮邦家親王の第8王子「小松宮彰仁親王」の騎馬像。明治維新、会津征討、日本赤十字社の功労者として知られる。なお弟に当たる北白川宮能久親王の像は北の丸公園にある。
恩賜上野動物園の表門
 「恩賜上野動物園・表門」。1882年(明治15)、当時の農商務省所管の博物館付属施設として開園した日本初の動物園。1924(大正13)年には皇太子殿下(昭和天皇)のご成婚を記念して、東京市に下賜された。以来「恩賜上野動物園」と呼ばれている。
上野恩賜公園のこども遊園地
 「こども遊園地」。上野動物園の真正面にあり、子供向けのレトロな乗り物がたくさん置かれている。
上野大仏~仏塔(パゴダ) 上野大仏~仏様の御尊顔
 「上野大仏」。1631年、堀直寄によって寄進された大仏の名残。度重なる地震や火災で、現在はご尊顔のみが保存されている。隣接する仏塔(パゴダ)は、大仏再建の願を込めて上野観光連盟が1967年に建立したもの。
上野精養軒
 「上野精養軒」(うえのせいようけん)。1872年(明治5)、日本におけるフランス料理店の草分けとして、東京・築地に誕生した。4年後の1876年、上野公園開設に伴い現在地に「上野精養軒」が誕生。かつては華やかな社交場や歴史的な会談の舞台にもなったという。
上野東照宮
 「上野東照宮」。1627年(寛永4)、藤堂高虎が建立したと伝えられる。現社殿は、三代将軍徳川家光が再建したもので、唐門、拝殿、本殿などは国の重要文化物に指定されている。
上野恩賜公園の花園稲荷神社
 「花園稲荷神社」。創建年代は不明だが、非常に古くから「穴の稲荷」、「忍岡稲荷」と呼ばれていた。1654年、天海僧正の高弟・晃海僧正が上野の山に再建し、守護神にしたという。1873年に「花園稲荷」と改名して現社殿が建設されたが、旧社殿後には今でも「お穴様」と呼ばれる岩穴が現存している。
上野恩賜公園の穴稲荷
 「穴稲荷」。正式には忍岡稲荷といい、花園稲荷の旧社殿があった場所に相当する。お社は、天界が寛永寺を創建した際、忍ケ岡に暮らすキツネの住処を奪ってしまったことを哀れんで建てたと伝えられる。
上野恩賜公園の五條天神社
 「五條天神社」。日本武尊が東方遠征の際、忍岡の地において薬祖神の奇跡に触れて命を救われたため、両神をお祀りして創建されたと伝えられる。かつては東エリアにある摺鉢山に鎮座していたが、1925年に現在地に遷座した。うけらの神事や節分の行事で有名。
南エリア
上野恩賜公園の不忍池
 「不忍池」(しのばずのいけ)。北は動物園通り、東西は不忍通りに挟まれる巨大な池で、蓮池、ボート池、動物園内の鵜の池からなる。総面積は約11万平方メートル。 元動画は⇒こちら
上野恩賜公園の不忍弁天堂
 「不忍弁天堂」。東叡山寛永寺を創建した天海僧正が建立したと伝えられる。創建当時のお堂は戦災で焼失したため、1958年に再建された。
上野恩賜公園の蓮池
 「蓮池」。不忍池の南半分を占め、一面を蓮の花おおわれていることからこう呼ばれる。
上野恩賜公園のボート池
 「ボート池」。不忍池の下半分を占める。蓮池とは違って蓮の花は全くなく、ボートを借りて一周することもできる。
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